アイヒマン実験

ミルグラム教授のアイヒマン実験

少々長い文章だが、ぜひおつきあいを・・・・

1960年代前半、アメリカコネチカット州イェール大学でスタンレー・ミルグラム教授は、通称「アイヒマン実験」とよばれている実験を行った。数年前のテレビ番組で紹介されたこともあり知っている人がいるかもしれない。

「アイヒマン」は実在した人間で、ナチスの官吏としてある都市からある強制収容所へユダヤ人を確実に送還する、といった事務的手続的な仕事をしていた。彼のユダヤ人虐殺に関わる加害責任について戦後の法廷で争われた。アイヒマンは、自分は上からの命令通りに、堅実に仕事をこなしただけで無罪だと主張したが、彼の行動が無差別大量虐殺に確実に支え、虐殺に加担していたと認定され死刑判決となった。
このアイヒマンのケースは、組織の一員となりある権威の前におかれると、それがどんな結果を招くのかが分かっていながらも倫理的な抑制を失い、個人では決してしえない、想像を絶する残虐な行動に無意識に加担してしまうという人間の闇の部分を浮かび上がらせた。

●さて、その実験はこうである。
ミルグラム博士は実験協力者を地元の新聞で募った。応募者達は「記憶と体罰の関係を調べる心理学の実験」だという説明を受け、二人ずつペアを組まされ、くじで一方が「生徒」、他方が「教師」という役を割り当てられた。

生徒役はひとりずつ、第一の実験室である「生徒の部屋」に入り電気椅子に座らされる。そしてこの状態で、単語の組み合わせを記憶するテストを受ける。「青い・箱」「寒い・日」「野生の・カモ」などのような10数個の単語の組み合わせを記憶する。そして、「青い」と聞かれたら「箱」と答えるというものだった。間違えると電気ショックが与えられる。

教師役はひとりずつ研究員と共に隣接する第二の実験室へ入り、この部屋からマイクを通して生徒役に問題を出し、間違えるたびに、手元のスイッチを操作し、生徒に罰として生徒役が座っている電気椅子に電気を送る。その電圧は生徒が間違えるたびに、数ボルトのかすかな電気ショック(レベル1)から450ボルト(レベル30)という死の危険もある電気ショックまで30段階、15ボルトずつ、じょじょに上げていくことを指示された。
はじめに研究員は教師役に試しに45ボルトのショックを与えた。これで教師役は、自分が生徒役に与える電気ショックの衝撃の大きさをあらかじめ知るのだ。

●開始当初は心理テストという緊張感はあったものの、実験は穏やかに進んだ。しかし、実験が進み電圧レベルが上がるに連れ実験室は異様な雰囲気に包まれていった。生徒役が電気ショックの痛みに苦しむ声が、スピーカーを通じて教師役の実験室にも聞こえてくるのだ。あまりに悲痛な声に、教師役は研究員に「もう止めた方がいいのでは」と尋ねてきた。しかし研究員は、「この実験はあなたが続けることに意義があるのです。生徒役の方の責任は私が持ちますから、どうぞ続けてください」と答えた。教師が電気ショックを上げることをためらうと「実験のために、あなたが続けることが必要なのです」といった勧告を教師に与え続けた。

●実は、体罰と記憶力関係を知るというのは全くの嘘で、本当の目的は、電気ショックのスイッチを入れる教師役を観察することであった。感電する生徒役は研究員や雇われた俳優で、悲鳴は演技や録音。もちろん電気ショックは与えられてはいなかった。この実験は、ここでいう博士や研究生のような権威によって他人に危害を加えるように命令されたときに、人間はどう振舞うのかを調べることが目的だった。

●●実験は、実験者も予想しなかった恐るべき結果を出した。教師役40人の中、全員が300ボルト(きわめてはげしいショック/レベル20)まで作業を止めなかった。そして、40人中なんと26人もが致死確実な450ボルト(レベル30)まで電気を送り続けたのだ。

実験後に教師役の被験者たちには電気は実際流れていなかったということと、本来の実験の目的を告げられた。すると、被験者たちは口々に弁解した。「私は何度も止めようと言ったのに、実験者が続けなさいと言ったから続けた。だから私には責任がない」と。

●さて、私はこういう状況におかれたとき何ボルトまでレベルを上げてしまうだろうかと考える。300ボルトのまえに離脱できるか考える。せめて40人中の残り14人に残れるだろうのか考える。あとで彼らと同じような弁解をしきりにしてしまうのか考える。
しっかりしなければと思う。

●この教師役達がなぜ殺人を犯してしまうのかについて興味深い分析がある。彼らにとってはさらなる高電圧のスイッチを押すべきかどうかという問題が、彼ら自身の内部で論理観・道徳観と自分の行為の矛盾激しい葛藤を起こす。つまり教師役の倫理・道徳感覚は消滅するわけではない。それは存在しながらも他に転嫁したのだというのだ。つまり、生徒に苦痛を与え続けるかどうかという問題は自分内部で激しい葛藤を生じるため、その葛藤を回避したい気持ちが、無意識のうちに、いかに権威者(研究者や博士)が自分に期待していることを確実に成しとげるかという問題にすり変わってしまうという分析だ。教師役たちは、質問文を正確に発音し、非常に注意深く的確にスイッチを押すという技術的手順に意識が専念することとなり、研究者や博士たちに対しては従者として有能な仕事ぶりを示そうとしだすというわけだ。
また、研究者・博士の命令が単に人間の作った組織から発せられたものにすぎないにも関わらず、なにかそれを遥かに超えた絶対的な価値を持つものだと錯覚し、それは「はじめからやることになっているものだ」と思うようになって、自ら率先して従うようになるという。

●組織や権威によっては誰でもが殺人者にされてしまう恐れがあるのだ。

服従の心理―アイヒマン実験
河出・現代の名著, スタンレー ミルグラム, Stanley Milgram,などより
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by bbbrothers | 2005-03-04 20:24 | 戦争と平和
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