「やません」

c0018561_1318591.jpg京都宇治を訪ね山本宣治(やまもとせんじ)の墓を見てきました。今でも地元の人から敬愛されていて「やません」と呼ばれています。

「やません」は明治から昭和に生きた左翼活動家で39歳のとき帝国議会議員に唯一のマルキストとして当選するも、翌年に暗殺されました。

もともと園芸家を目指していた彼は、庭師に弟子入りしたりカナダに園芸留学したりするうち動物学の勉強を始め、帰国後28歳で東京帝国大学に入学しました。



c0018561_13204120.jpg卒業後、来日したマーガレット・サンガーの通訳をしたことを契機に「産児調節運動」に取り組みました。日本で始めて性教育を行ったとも言われています。これは当時の国家政策「産めよ増やせよ」に真っ向から対峙するもので、女性が自分の意思で避妊できるようにという女性解放運動でもありました。この時期には来日中のアインシュタインとも面会しているようです。そういえば「手淫」という言葉を「自慰」に変えて少年たちを罪悪感から救った(笑)のも「やません」だそうです。

その後、貧しい人々の生活改善をめざす活動に心血を注ぎ、弱きを助け強気をくじく大奮闘で官憲とも戦う日々をおくりました。

帝国議会では、警察による拷問の真相究明や治安維持法反対に取り組みましたが、宿泊中の旅館で来客を装った軍国主義者に刺し殺されました。「やません」39歳でした。このあと日本は戦時体制へ突き進んでいきます。

c0018561_13312113.jpg墓の裏に、大阪農民大会での演説の一部「山宣ひとり孤塁を守る。だが私は淋しくない。背後には大衆が支持しているから」という刻文が刻まれています。これは戦時中、何度も何者かによって削り取られたそうです。今ははっきり読めます。

「やません」については taroさんの「クリック20世紀」が分かりやく紹介してくれています。以下、エピソードをひとつ引用させていただきます。
http://www.c20.jp/p/ysenji.html

>ヤマセンもいいが、ヤマセンの両親も魅力的。父亀松は家族ももてあます極道者。大津では「泥亀」とまで言われた。それが25歳のとき、宣教師に救われ入信。以後、模範的なクリスチャンとなり、教会発展のために尽力する。母多年(たね)は京都の老舗足袋屋の長女で、有名なハイカラ娘。家業が傾くと、自ら毛糸店を設立して切り回すしっかり者でもある。このハイカラさんがやがて教会に出入りするようになり、そこで今は熱心に布教の手伝いをする亀松と出会い、恋に落ちた。ヤソには娘はやれぬ。多年の父の大反対にもかかわらず、二人は式を挙げる。生計を立てるため、牧師さんの勧めでわずかな資金をもとに、アメリカから輸入したアクセサリーや化粧品を売る店を新京極にオープン。その名は「わんぷらいすしょっぷ」。「まけぬといふたらほんまにまけぬ」という大看板を掲げ、「日曜日は安息日として休業します」という札を出すこの風変わりな店は、着倒れ京都の娘さん、若奥さんたちの間で大ブレークした。ヤマセンが生まれるのはこの少し後のことである。<
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この宇治山宣会は「やません」を伝え顕彰する活動を行っているそうです。
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by bbbrothers | 2007-01-08 13:33 | 戦争と平和
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