エンジンのカケラ

c0018561_179558.jpgこの写真の電池の左に写っているのは熊野灘の海底からひきあげられた「第五福竜丸」のエンジンの破片。
このエンジンが東京へ運ばれる途中のいくつかの町で一定期間展示された。
三崎港に来たときに私が見に行くとすでにぼろぼろで崩れ続けていた。
この破片はそのとき私が拾ってきたものである。

手のひらに載せると何かを語りかけてくる、そんな気がいまもする。


私たちの世代はよく知っている「第五福竜丸」。子供の頃、雨が降ると、放射能でハゲると頭を隠したものだ。

この船は1947年に和歌山県の古座という町でカツオ漁船「第7事代丸」として進水、のち静岡焼津に売却されマグロ漁船に改造されて「第五福竜丸」となった。
そして1954年、ビキニ環礁付近で操業中にアメリカの水爆実験で被爆、1名が半年後に死亡、ほかの乗組員たちも長期にわたり放射能障害に苦しむこととなった。この実験ではもちろん第五福竜丸だけでなく夥しい船舶やマーシャル諸島住民が被爆した。

やっとの思いで母港の焼津に戻った「第五福竜丸」は政府により買い上げられることとなった。さまざまな調査や放射能除去作業後に再改造され「はやぶさ丸」と改名し、東京水産大学の練習船となった。しかし1967年についに廃船となり解体業者に売り渡され東京夢の島に捨てられた。

捨てられている船が「第五福竜丸」であることを発見した都の職員、ジャーナリストや市民による保存運動が身を結び1976年に保存館が開館、いまではたくさんの人が訪れている。

ところでエンジンは1967年の廃船の際に別の船主に売却され「第三千代川丸」という船に取り付けられ第2の人生を送ることとなった。ところが「第三千代川丸」は1968年7月、三重県熊野灘沖で台風により座礁・沈没、船体はばらばらに、エンジンも海中に没してしまった。

しかし1996年、28年ぶりにエンジンが海中から引き上げられ、各地をリレー展示しながら東京の福竜丸展示館に運ばれた。

数奇な運命をたどった船とエンジンである。

ところで水着の「ビキニ」はこの原水爆実験場であったビキニ環礁からつけられたそうだ。
原爆のようにインパクトがあるということだったらしい。
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by bbbrothers | 2006-12-25 17:10 | 戦争と平和
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